『愛』のある活動 磯辺 信之(いそべのぶゆき/特定非営利活動法人筑後川流域連携倶楽部理事)

 NPO法人筑後川流域連携倶楽部の磯辺信之です。水環境ネット東北の小山田さんから他己紹介を受けまして、コラムに投稿させていただきます。私は、川に関わる活動をするときに自身が感じていることを書いてみます。

 最近、「若い人の考えていることがわからない」というご年配方の話を耳にします。また、「市民団体活動に若者が参加してくれない」、「若者の参加が少ない」という話も聞きます。その理由は、若者たちの意識の低さや現在の教育制度の不備などがよく槍玉に挙げられています。私の経験ですが、このような話題を口にする人たちが若者に対する意見を言った後、次にくる言葉は、「昔は〜だった」「私が若いころは〜だった」です。昔話を聞くことが嫌いというわけではないのですが、この類の話を聞くたびに私は釈然としない気持ちになります。冷静に考えてみると、私は彼らの同じ時代に生きていないために、その言葉の裏に隠された時代の背景などわかりません。その話の、言葉面しか聞くことができないために、実感がわかないからだと気がつきました。もっとも話しているご年配方も若者にそこまでの理解を求めていないかもしれませんが。
 20年ぐらい前のことでしょうか、私が友達と川遊びをする年齢になったときには、私の近所の川で泳ぐことはできませんでした。そのような川でも川の上流に行けば、泳いだり、魚をとったりすることはできたのですが、それは非日常的なことでした。私は下流域の臨海工業地帯に住んでいたので、日常的にはあの汚れた川で遊ぶことなど考えもしませんし、むしろ川は危険なところと理解していました。つまり、川で泳げないことは『当たり前なこと』で『不幸なこと』でもなんでもありません。ところが、ご年配方の幼少時代は、近所の川で泳げ、魚もとることができたと思います。しかもそれは日常的なことで、彼らの生活の中に身近で、『当たり前のこと』として存在していたと思います。よって私が『当たり前のこと』と思っていることを彼らは『不幸なこと』と感じていると思います。こうして私とご年配方の間でも川に対する認識が違うことがわかります。もちろん、これは年代の差だけではなく、同じ年代であったとしても生まれや育ち、性別、職業などによって異なるはずです。
 現在、同じ活動の仲間として私もご年配方も参加しています。ここで注意したいことは、同じ活動に参加している仲間だから自分と同じ経験や考え方の人が集まっているという感覚に陥ることです。一人一人の経験や考え方は違います。それはよく考えれば当然のことですが実際の活動の場を省みると、同じ仲間は同じ考え方や認識であるという考え方を意識的に、ときには無意識的に強制させられるような例がよく見られます。
 市民活動に参加している人で「自分の行動や哲学をわかって欲しい」ということを強く外に発信する人がいます。それは、話をしたり、行動で示したりいろいろです。しかも、相手の話や意見を聞かない場面も見受けられます。彼らの言動は、若者に「自分の意見を聞いてくれない」「自分を受け入れてくれない」というシグナルとして受け取られてしまうことが多いようです。

 確かに、社会経験の少ない若者にとって市民活動への参加は人生の冒険です。その冒険に船出をするときに市民活動の経験者の人たちがいろいろ助言することは、『助言』ではなく彼らの行動の『規制』なのかもしれません。その助言に悪気がなくても、その助言は必要だからと感じて話していたとしてもです。もちろん「若者に何も言うな」というつもりはありませんが、若い人育てよう、参加してもらおうとするならば、たとえそれが間違いであっても彼らの意思を尊重し、のびのびと活動をできるような環境を整えることがこれからの市民活動に必要なことのような気がします。
 25歳の頃に、熊本県のある精神病院を見学させていただく機会がありました。病院施設の中を見た後に、案内をしていただいた担当の先生とお話しする時間がありました。その中で先生は私に対して「精神疾患の治療で一番大切なことは何と思いますか?」という質問をしました。質問が唐突であったこと、また私自身がそういうことを考えたことがなかったために質問に答えることができませんでした。先生は「共感です」と私に教えてくれました。それから、私の心の中から「共感」という言葉が離れません。年を重ねていくごとに、人間として生きていくためにとても大切な言葉だという思いを強くしています。
 私たちは日常、お互いの意志を伝え合うときに言葉を使います。しかし、単に言葉を使っていてもなかなか意志を伝えることはできません。私たちはよく「なぜ自分の気持ちが伝わらないのだろう」「なぜ相手は私の言うことをわかってくれないのだろう」という経験をすることからも明らかです。一方で、相手が気持ちを理解してくれたり、相手に自分の言いたいことが伝わるときもあります。そのときのことを考えてみると、そのときは相手の話を聞こうと思っていますし、相手の立場になって話をしようと思っています。つまり、そこには「共感」しようとしている自分がいます。
 そのためには「ナンバーワンよりオンリーワン」という考え方が大切だと思います。この言葉は新垣勉さんという盲目のテノール歌手の言葉です。彼は若い頃、自分の目が見えないことに絶望し、自殺まで試みたことがあるそうです。しかし、彼を助けてくれる人との出会いの中で、自分は目が見えないけれども人に感動を与える声がある。その声を大切にして、歌を歌い人々に感動していただこうと歌手として活動を行っています。
 戦後、日本の経済成長を支えてきた原動力はお互いに競い合って『ナンバーワン』をめざして生きていくことでした。しかし、新垣さんは、「人間生きていて無駄な人は一人もいないし、自分はこの世に唯一存在するかけがいのない『特別な存在』つまり、『オンリーワン』で他人と自分とを比べたりする必要はない」といっています。若い人もご年配の方も、一人一人がかけがいのない唯一の特別な存在です。そして、人は一人では生きていくことはできません。必ず誰かのお世話になっていますし、自分もお世話をして生きています。だからこそお互いに『オンリーワン』という考え方で、相手の立場や状況を考慮しながら「共感」していくことが必要になると思います。つまり「愛」をもって生きていくことだと確信しています。
 早稲田大学の教授で加藤諦三さんの言葉に、
愛することは「自分に甘えないこと」、愛されることは「愛すること」
とあります。
 何か助言をしたくなってもグッと我慢して、つまり自分の欲望に負けず生きていけばその気持ちは必ず相手に伝わり、相手はその人を大切にし、助言に聞き耳をたててくれるでしょう。自分が相手を愛さなければ相手は愛してくれませんし、自分が変わらなければ相手は変わりません。
 全国各地で、様々な市民活動の種がまかれて芽を出し、育ちつつあります。一方で忘却の彼方に忘れ去られる活動も星の数ほどあります。私たちの参加している活動が、世代を越えて引き継がれ、人々の記憶に残るためには、「愛」をもってしなやかに活動していくことだと思います。
 農業で達人と呼ばれる人たちは、植物や動物たちと話ができるといいます。それは、植物や動物の生育をよく観察して、彼らが必要なときに必要なことを人間が手助けをすることです。生き物に対する思いやりや愛情をもつ、つまり「共感」することができるから話ができるし、その努力に植物や動物たちも答えるのです。

他己紹介
熊木朋子さん 彼女は北海道で活躍している若者です。9月に行われた九州「川」のワークショップにも自腹でお手伝いに来ていただきました。そのフットワークの軽さは私にはないもので、彼女の動きを見るたびに感心しています。カラオケもうまく、彼女の松田聖子は聞く価値あり!


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